赤色顔料の鴟尾出土

 
奈良・法輪寺

 斑鳩町の法輪寺境内から25日までに、7世紀の金堂を飾ったとみられる赤い顔料を塗った鴟尾片が出土した。
 一方、同寺収蔵庫で保存する重要文化財の「鴟尾残闕(ざんけつ)」も、もとは赤い顔料が塗ってあったことが判明。当時の法輪寺がそれぞれの建物の屋根に赤い鴟尾を乗せた独特な姿だった可能性が出てきた。
 古代寺院の鬼瓦などを、魔よけのため赤く塗った例はあるが、鴟尾は金ぱくを張るのが一般的。赤い鴟尾は例がなく、町教委は「赤い鴟尾は目立っただろう。寺の荘厳さを高める狙いだったのでは」とみている。

 斑鳩町三井の法輪寺境内から、赤色顔料が塗られた7世紀後半の創建当時の金堂の鴟尾の一部が見つかり、斑鳩町教育委員会が25日、発表した。赤色顔料が塗られた鴟尾が見つかったのは初めて。同町教委の平田政彦技師は「建築部材が赤色や緑色で彩色されていたように、荘厳性を高めるものだったと考えられる」と推察している。
 鴟尾片は、旧金堂跡の北東部から出土し、金堂東側の鴟尾と見られる。鰭(ひれ)部の破片で、幅約15センチ、高さ約10センチ、厚さ約4センチ。全体に赤色顔料(ベンガラ朱)が塗られていた。
 町教委が過去の発掘資料について調べたところ、江戸期に出土し、同寺が所蔵する講堂の鴟尾(重文、高さ約70センチ、長さ約54センチ、厚さ2.6〜4センチ)にも赤色顔料が塗られていたほか、昭和25年の発掘調査で出土した金堂西側の鴟尾片(高さ約20センチ、長さ約20センチ、厚さ約4センチ)にも赤色顔料が塗られていたこともわかった。
 町教委は「法輪寺の鴟尾にはすべて朱が塗られていた可能性がある」と推察している。しかし、その後の寺の鴟尾に赤色顔料が塗られた例はなく「評判は今ひとつで、流行しなかったのではないか」としている。

 瓦に赤色顔料が塗られていた例は、桜井市の山田寺(奈良時代)の鬼瓦などもあり、大脇潔・近畿大学教授は「鬼瓦や鴟尾などには魔よけの意味もあり、さらに赤色顔料を塗ることでその意味を強めようとしたのではないか」と話している。

 法輪寺は、推古30(622)年に聖徳太子の病気治癒を願って山背大兄王らが創建を命じた説と、天智九(670)年の太子死後に建てられたという説があるが、出土瓦などから後者の方が有力とされてきた。しかし今回の調査で、それよりも古い時期の瓦が出土し、創建前にも聖徳太子ゆかりの寺院が建てられていた可能性が強まった。

                       2002年6月26日 -奈良新聞 より-

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