人工的な屈折地点発見 東京・武蔵国分寺跡 武蔵国分寺は奈良時代の8世紀後半に創建され、平安時代の10〜11世紀に衰退したとされる。これまでの調査で、中心の「寺域」は、東西、南北約400m四方に掘られた空の溝に囲まれた一帯であることが分かっている。 公園建設に伴って行われた今回の調査は、寺域の北辺部分をなす北限溝の未調査部分約270mのうち4地点を選び、地面を掘り下げて地下約60cmより下にある溝の様子を調べた。 その結果、溝は底の幅約1.5m、上面の幅約2.5m、深さ約1.2mの台形を逆さにした形で見つかった。 その中で注目されたのが、調査した4地点のうち一番東よりの地点で、東から西に延びてきた溝が、やや南寄りに約3度向きを変え屈折していたこと。北限溝はこれまでも東西に真っ直ぐには延びていないことが分かっており、地形のせいで自然に曲がったのではと推測されていたが、これが人工的に屈折させたものであることが分かった。 また一番西側の調査地点では、幅約60cmにわたり溝を土で埋め、その上を人が往来したと見られる土橋が見つかった。 北限溝が人工的に屈折していたことについて市教委の福田信夫史跡係長は「ここは、武蔵国分寺の創建期には、北限溝の中央地点だった。中央で屈折させたのには何らかの理由があると思うが、謎で、今後の課題になる」と話す。 また、土橋については「寺域を四方に囲む溝は、外部との境をなす、いわば塀代わりだったが、寺域の内側と外側で人の往来があったことを示している。寺の創建期から寺域の周囲に住居があった可能性もある」としている。 2002年9月24日 -讀賣新聞 多摩版より- |