「一遍聖絵」臨終の場面描き換えられていた

 
奈良博などが確認

 一遍上人の臨終の様子を表した場面が、製作の課程で涅槃(ねはん)の姿から仰向けに横たわる姿に描き換えられていたことが、奈良国立博物館などによる保存修理で分かった。裏打ちの紙を取り除くと、当初に描かれた涅槃の姿勢がみえる裏側からの姿で、左右は逆になっている。
 鎌倉時代の高僧で時宗の開祖、一遍上人の生涯を描いた「一遍聖絵」で、一遍上人の臨終の様子を表した場面が、製作の課程で涅槃の姿から仰向けに横たわる姿に描き換えられていたことが、奈良国立博物館などによる保存修理で確認された。
 仰向けに横たわり、両手を胸の前で合掌し、腰に白い衣が掛けられている姿が描かれているが、絵巻の裏打ちの紙を取り除いて確認したところ、顔を横にし、右手を枕にして横たわる、いわゆる涅槃の姿勢で描かれていた。彩色を施す前に描き直されたという。
 釈迦が亡くなった姿を表す涅槃の姿勢は、誰にもわかる臨終の形として描かれたが、一遍上人は朝の念仏の最中に誰もが気付かない間に亡くなったことが知られており、絵巻の詞書にも記されているため、描き直されたとみられる。
 また、当初は縁側で亡くなったように描かれていたが、板敷き部分と手前の柱を四本描き加えて室内に描き直されていたこともわかった。高僧の臨終の場所が縁側では粗末だと感じた作者が、描き直したとみられる。
 一遍上人を取り囲み、死を嘆き悲しむ人々の姿は当初のまま残されおり、奈良国立博物館の中島博・美術室長は「実際には涅槃ではなかったが、出来る限り涅槃像に似せた図様にしたいという一遍上人を思う心の現われでは。八本という柱の数も、釈迦を囲んで描かれた沙羅双樹の幹をイメージさせる」と話している。

 一遍聖絵は、一遍上人の生涯を描いた伝記絵巻で、一遍の弟子で実弟ともされる聖戒(しょうかい)が詞書を、僧の法眼円伊が絵を描いた。絹地に彩色で描かれた全12巻で、正安元(1299)年に完成した。

                  
  2002年11月26日 -奈良新聞  朝刊より-

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