江戸初期には隆盛
焼失建物の瓦多数出土

 奈良・興福寺一乗院


 奈良市登大路町の興福寺一乗院跡から、一乗院の建物の瓦を廃棄した土坑や井戸などが見つかり、奈良文化財研究所が18日、発表した。江戸初期の火災で焼失した建物の瓦が全体の7割を占め、江戸初期に複数の建物群を持ち、隆盛を誇ったことがうかがえるという。
 奈良地裁の建て替えに伴う発掘調査で、過去の調査で見つかった宸殿跡の南側。一乗院が創建された10世紀後半から江戸時代まで約1000年にわたる建物跡や井戸、土坑などが見つかった。
 なかでも、寛永19(1642)年の火災で焼失した建物のものとみられる瓦が大量に出土しており、江戸初期に多くの建物が建ち並び、隆盛を誇ったことがうかがえるという。慶長15(1610)年に皇族が入寺した記録が残っており、この時期に最も栄えたことが発掘調査からも裏づけられた。
 今回の調査地の北西部では、昨年の調査で池をともなう庭園遺構が見つかっており、その導水施設の検出が期待されたが、調査地からは見つからなかった。過去の調査で遣り水の可能性が指摘されていた溝も、途中で途切れていることがわかった。
 一方で、明治期の裁判所建設時につくられた池が江戸時代末期の絵図にある泉をつくりかえた可能性も生まれ、「池に水を供給した泉ではないか」と推察している。
 一乗院は、大乗院とともに興福寺で大きな勢力を誇った子院。度重なる火災で焼失、再建を繰り返した。慶安3(1650)年に再建された宸殿は、唐招提寺に移築され、御影堂(重文)となっている。

                      2002年12月19日 -奈良新聞 より-

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