復興大伽藍 (3) ゼロからの寺院建築
 落慶待つ薬師寺大講堂


 30年以上にも及ぶ伽藍(がらん)復興を手がけてきた池田建設の石川博光工事事務所長(60)は、入社後間もない昭和45年、金堂の模型製作のため、同社からただ一人派遣された。ビル建設の経験はあるものの、寺院建築はほとんど知らないなか、建設委員の太田博太郎氏や浅野清氏ら超一級の学者らに囲まれてのスタート。知らないことづくめの毎日で、何度となく辞めようと思ったという。

 「寺院建築の名前、部材の名称、建物の良し悪し、会議で交わされる内容がさっぱり分からない。建築を専門にしてきた人間にとって、分からないことがとてもつらかった」と振り返る。
 近くの唐招提寺すら知らなかったというが、それからは暇を見つけては社寺を回る毎日。休日はすべて寺巡りに充て、1年間で軽く400を超える寺を見て歩いた。
 慣れない仕事でつらい毎日だったが、「木造建築の方がビルより上。素晴らしい仕事をしているね」という大学時代の恩師の言葉に励まされる。西岡常一棟りょうの考えや深夜まで議論を重ねる学者らの熱意に触れるうちに、次第にのめり込むようになる。「難しい仕事ほど、やりがいが出てきました」
 西岡棟りょうに影響を受けた部分も大きい。「奈良時代の建物は、奈良時代の人の気持ちになって考えよ」が西岡棟りょうの言葉。奈良時代の職人は、木や石の寸法が多少違っていたり、くせがあっても、技術でカバーしてうまく使っていた。「『遠くからせっかく運んだものだからできるだけ使ってやろう』『見た目がそろってなくても役目さえ果たせればいい』。石や木に対して、人と同じように考えた奈良時代の人のそんな優しさが感じられる」「見た目をそろえるよりも、臨機応変に使う方が技術力が上」と奈良時代の職人に敬意を払う。
 奈良時代の伽藍を現代によみがえらせるという大事業。「会ったことも見たこともない奈良時代の職人たちが応援してくれているような気持ちになりました」
 石川所長が特に心を配ったのは、事故なく工事を終えること。寺院建築なので、血を流さないようにと常に現場を歩いて点検を重ねた。技術者としては当然だが、きちんとした建物を造ることも大切で、技術を継承する意味で重要という。「解体修理をすれば、後の時代の技術が入る。修理がなければ(当時の)技術が残りますから」
 30年以上に及ぶ伽藍復興工事では、多くの職人が薬師寺の現場から巣立った。その職人が、またほかの場所でほかの職人と仕事をすることで、技術が広がり、受け継がれることにも期待を示す。
 会社生活のほとんどを薬師寺の伽藍復興に費やし、もうすぐ停年を迎える。ただ一人派遣されたときは、田の真ん中に東塔と仮金堂、江戸時代に建てられた講堂だけがある寂しいたたずまいだった薬師寺も、堂々とした大伽藍に拡大した。
 「先日、妻と二人で大池に散歩に出かけたとき、池の向こうに薬師寺の塔と金堂、大講堂の鴟尾(しび)が見えました。われながら、ほれぼれとしました」。いとしそうに大講堂のたたずまいに目を細めた。

                      2003年3月15日 -奈良新聞 より-

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