高い格式示す本格伽藍確認 山科の山岳寺院・安祥寺上寺

 平安時代前期(9世紀)に建てられた山岳寺院「安祥寺上寺」の五大堂と見られる礎石などの遺構が30日までに、京都市山科区の山林内で確認された。平安前期の姿を伝える山岳寺院跡は少なく、国の史跡クラスの貴重な遺跡だという。
 遺構は、京都市埋蔵文化財調査センターの梶川敏夫副所長ら京都で文化財調査に携わる研究者と、京都女子大考古学研究会の学生たちが確認した。その後、京都大文学研究科21世紀COEプログラム「王権とモニュメント研究会」(代表・上原真人京大教授)の測量調査で概要が判明した。
 現場は、1981年の京都国立博物館の調査で基壇跡と見られる台のような盛り上がりが報告されていた。梶川副所長たちの踏査で98年に礎石を発見。5年がかりで遺跡を壊さないよう落ち葉を払いのけて慎重に調査したところ、40を超える礎石や雨落溝を見つけ、東西5間、南北4間の五大堂と見られる建物跡など五棟の建物跡を確認した。
 安祥寺は仁明天皇の妃・藤原順子が創建した。東寺に伝わる「安祥寺伽藍縁起資財帳」によると、醍醐寺と同様に上寺と下寺に分かれ、上寺には礼仏堂や五大堂、僧房があり、僧の恵運が中国から招来した五大虚空蔵菩薩像(重要文化財)や五智如来座像(同)がまつられていたとされる。
 下寺は中世までに荒廃したが、江戸時代に徳川将軍のひごを受け、ふもとにある現在の安祥寺に引き継がれたとされる。しかし、上寺の廃絶時期や経緯は分かっていない。
 平安京内は東寺、西寺以外の寺院建立が禁じられ、皇族や貴族の発願した寺は京域外に建てられた。延暦寺や清水山寺など東山や西山、北山にも山岳寺院が建てられたが、平安前期の姿を伝える寺院跡は少ない。
 上原教授は「安祥寺に関する文献や仏像が残されており、平安京の山岳寺院の研究で基準となる貴重な遺跡になるだろう」と話している。今後、建築や美術分野の研究者を交えて調査研究を進める。

 ▽藤原順子(809−871) 太政大臣藤原冬嗣の子で仁明天皇の妃。子の道康親王(のちの文徳天皇)が東宮となる「承和の変」(842)で、兄の良房が権力を握り、藤原摂関政治の全盛期を築く。文徳天皇の死後に出家、848年に空海の孫弟子の入唐僧、恵運の開基で安祥寺を建立した。

                      2003年5月1日 -京都新聞 より-

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