国内最古の鋳鉄施設 大型鉄釜の鋳型も 明日香・川原寺跡

 
飛鳥四大寺の1つに数えられた明日香村川原の川原寺跡(国史跡)で、7世紀末ごろの鉄釜の鋳造施設と鋳型が見つかり、奈良文化財研究所が6日、発表した。国内の鋳鉄遺構では最も古く、大型の鉄製品を作る技術が飛鳥時代に伝わっていたことが明らかになった。

飛鳥時代に技術伝わる
 土製の鋳型は内型と外型の上半部が残っており、付着した金属成分から鉄製品と分かった。復元できる鉄釡は直径は85センチ。胴部につばが取り付く「羽釡」で、同寺の湯屋などで使ったらしい。
 鋳型を据える穴は直径2.8メートルと大きく、やや高い位置に溶解炉を設け、内型と外型の間に鉄を流し込んだと推定できる。周辺では土で作った溶解炉の破片も出土した。
 古代の鋳鉄施設が見つかったのは初めてで、鋳型は福島県相馬郡新地町の向田A遺跡で出土した鉄釡鋳型(8世紀末−9世紀)が最古とされてきた。
 奈良時代には寺院の湯屋や製塩に鉄釡が使われ、法隆寺などの資財帳にも記録がある。ただ、実物は残っておらず、興福寺大湯屋(重文)の湯釡も平安時代末の鋳造と考えられている。
 銅の鋳造技術は銅鐸や仏像を通じて早くから日本に定着。滋賀県草津市の木瓜原遺跡では、7世紀末の釣り鐘の鋳造跡も見つかっている。
 発掘現場は9、10両日の午前10時から午後3時まで自由に見学できる。現地説明会は行わない。

寺院工房の特殊技術か
 五十川伸矢・京都橘女子大教授(考古学)の話 国内の鋳鉄資料が100年以上さかのぼり、律令体制が整ったころに大きな鉄製品を作っていたことが裏付けられた。ただ、庶民まで鉄製品を使っていたとは考えにくく、寺院工房の特殊技術だったのではないか。鋳物の歴史を考える上でも興味深い。

【川原寺】天智天皇(626−671年)が母親である斉明天皇の冥福を祈って建立したとする説が有力。藤原京の時代には、飛鳥寺や大官大寺と並んで四大寺の1つに数えられた。「川原寺式」と呼ばれる独自の伽藍(がらん)配置が発掘調査で明らかになり、下層の遺構から、斉明天皇の川原宮跡に建立された可能性が強い。平城京遷都に際してなぜか飛鳥に残され、奈良時代中ごろから勢力が低下。平安時代に主要伽藍が焼失した。

                      2003年6月7日 -奈良新聞 より-

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