中倉も創建時の建物 年輪年代法で確認 正倉院

 
明治時代の論争で2棟説や1棟2倉説などがあった正倉院中倉の床板が、北倉、南倉の床板とともに創建当時といわれる天平勝宝8(756)年ごろの部材であることが年輪年代法で明らかになり、宮内庁正倉院事務所が6日、発表した。明治時代の建築家が支持した「現在の建物が創建当初のもの」とする1棟3倉説を、科学的に裏付ける結果となった。

 正倉院については、別々に建てられた校倉造りの建物を後で1つにつないだ▽1つの屋根の下にあった北倉と南倉の間に後から中倉を増設した−など、建築家や学者間で論争を呼んでいた。

 調査は、正倉院宝物の木工品の研究なども行ってきた奈良文化財研究所埋蔵文化財センター古環境研究室の光谷拓実室長が、平成13年11月から今年の3月にかけて実施した。
 正倉院の正倉の下に入り込んで、校倉造りの北倉、南倉と板倉造りの中倉の床板や台輪から、ヒノキの柾目板を選び出し、モノクロ写真を撮影。その写真画像を用いて年輪幅の測定を行い、近畿地域のヒノキ年輪で作成された年輪パターンと照合、年輪を測定した。
 その結果、中倉の部材から714年、716年、741年という創建のころの測定が得られ、北倉、南倉とともに創建当時の部材が現役で使われていることが分かったという。
 光谷室長は「戦災が多かった東大寺の建物の中で、奈良時代の建物が奇跡的に残っていることを自分の研究で確認することができて感激している」と話している。
 調査成果は、正倉院紀要第25号に紹介されている。

                      2003年6月7日 -奈良新聞 より-

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