大峯山寺に銭弘俶塔 山岳信仰との関係か 中国から伝来の隅飾り

 山岳修験で知られる天川村の大峯山寺で、中国から伝わったとされる銭弘俶塔(せんこうしゅくとう)の一部が見つかっていたことが、26日までに分かった。中国・呉越国の王、銭弘俶(在位948-978年)が戦没者の供養を願って作らせ、国内には6点ほどしか残っていない。山岳信仰とのつながりを考える上でも重要な資料。
 奥駈(おくがけ)道を踏査した奈良山岳遺跡研究会(森下恵介代表)が、大峯山寺の本堂近くで発見、先月発行の報告書に掲載した。

 見つかったのは方立(ほうだて)と呼ばれる隅飾りの1つで、縦4.7センチ、幅2.3センチ、厚さ1.4センチ。砲弾を割ったような形をしており、3つの面に仏像や神将が浮き彫りされている。
 正面の仏像には蓮座(れんざ)や天蓋(てんがい)も表現。左右の面に剣を持った神将が従う。銅製のため変色しているが、金メッキされていた可能性が強い。
 底に突起があり、塔身に差し込んで溶接したとみられる。残り3つの方立や塔身は発見できなかった。

 銭弘俶塔は福岡市の誓願寺や京都府相楽郡和束町の金胎寺に伝世品があり、国の重要文化財に指定されている。調査での発見は和歌山県那智勝浦町の須美神社経塚、福岡県太宰府市の原遺跡に続いて3例目。
 現在の大峯山寺本堂は元禄年間(1688-1704年)に建立され、整地土の採取で周辺の経塚が壊された。同研究会は、銭弘俶塔が経塚に納められていた可能性もあるとみている。
 呉越国で作られた銭弘俶塔は8万4000基といわれ、このうち500基が平安時代に日本に伝来。宝篋印塔(ほうきょういんとう)のモデルになったとする説もある。

 狭川真一・元興寺文化財研究所研究部長(仏教考古学)の話 国内の銭弘俶塔は10例に満たず、大変貴重な発見。どのようにして用いたか不明だったが、山岳信仰と結び付けて考える必要が出てきた。信仰形態の1つとして大峰山にもたらされたのではないか。

                      2003年7月27日 -奈良新聞 より-

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