平安期・浄土寺の上に室町期・東山殿 銀閣寺の変遷明確に

 京都市左京区の銀閣寺(慈照寺)で29日までに、平安期から室町期に設けられた2種類の石列が重なって見つかり、将軍足利義政(1436−90)が造営した山荘「東山殿」と、それ以前にあった浄土寺の遺構であることが、京都市埋蔵文化財研究所の調査で分かった。文献に記されている浄土寺から東山殿、銀閣寺への変遷が、実際の遺構で明らかになったのは初めて。

 銀閣寺中門の建て替えに伴い、市埋文研が今年3月から43平方メートルを発掘調査した。
最初に確認された石列は、最大70センチの石13個が南北約6メートルにわたって並んでいた。現在の建物の方位と比べると、石列の向きは反時計回りに約15度ずれていた。
 さらに、その石列の一部を掘り下げたところ、細かな石を約50センチ丁寧に積み上げて垣根状にした同方向の石列と、溝跡とみられる平たん面を確認した。2種類の石列の付近からは平安期などの土師器(はじ)や瓦も見つかり、これらの遺構が銀閣寺以前のものであることが分かった。

 市埋文研は2種の石列の形状や積み方に違いがあることに着目。下側の石垣状の遺構や平たん面は1019(寛仁3)年の創建と伝えられる浄土寺の築地塀跡などの可能性が高いとした。後に東山殿を造営する際、これらを補修し、同じ向きに石列を設けたと推定する。現在の建物の向きになったのは江戸期以降と見られるという。
 東山殿の石列の用途は断定できないが、市埋文研の鈴木久男調査課長は「浄土寺と東山殿は、建物全体の方位から見ればかなり密接な関係にあったのではないか」と話している。

 遺構は調査後に埋め戻し、中門の設計など建築準備を進めている。

 ▽「遺産」活用か
 山田邦和・花園大教授(考古学)の話 東山殿は浄土寺の区画や建築物を生かして設計が行われた可能性が考えられ、貴重な発見だ。東山文化の精華といわれる東山殿が、実はそれ以前に存在した寺院の「遺産」を最大限に生かしていたことになるかもしれない。

 ▽浄土寺
 平安時代創建の天台宗の名刹(さつ)。後一条天皇の遺骨が保管されたり、後白河法皇の女御・健春門院平滋子が参詣するなど天皇や高級貴族と関係が深い。

 ▽東山殿
 1482(文明14)年、足利義政が風光明媚(び)な浄土寺の地を選び、造営したことが「後法興院政家記」などに記される。義政の没後は慈照寺(銀閣寺)になったが、戦国期に銀閣と東求堂を除いて荒廃、江戸期に再建された。

                      2003年7月30日 -京都新聞 より-

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