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幻の大寺一端浮かぶ 橘諸兄創建の井手寺跡 瓦(かわら)は3色に彩られ、礎石据付穴は、平城京の大寺に匹敵する−。橘諸兄が創建したとされる井手寺跡(井手町井手)から29日までに出土した遺構と遺物は、「幻」だった大寺の一端を浮かび上がらせた。奈良時代、「井手の左大臣」といわれた諸兄の権勢の大きさを知る資料であり、今後の調査にも期待をもたせた。 飾り瓦は、花の意匠に沿ってくっきりと色分けされていた。町教委が復元した瓦の模様はその鮮やかさとともに、当時の権力者だった諸兄の力を示した。 「井手寺がどういうものだったか、その片りんを見せた」。上原真人京都大教授(考古学)は言う。「3色の釉ゆう薬で彩色する技術は中国(唐)から移植した。大安寺や薬師寺など当時は大寺にしか使われず、利用できる人物は限られる」とし、諸兄の権力の大きさを推測する。 奈良文化財研究所飛鳥・藤原宮発掘調査部の山崎信二調査室長も「三彩の瓦の出土は諸兄が特別な力を持った人物であることが推測できる」と話した。 一方で、建物跡の遺構について、大規模ではあるが、その用途や建築年代は分かっていない。 上原教授は「穴が見つかった基壇の大きさなどが分かれば建物の性格付けもできるはず」。山崎室長は興福寺が藤原氏の氏寺から官寺になった例をあげ、「井手寺も同様に公権力で造営した可能性がある以上、寺院規模から諸兄個人の権勢を示すかといえるか未知数」と今後に期待を寄せる。 井手寺は、古文書に数多くの記載がありながら、本格的な調査はほとんど行われず、寺の全体像はまだ見えない。同町教委は今後、出土した建物遺構を中心にさらに3年間調査を継続、寺院の規模の確認を進める。 2004年1月30日 -京都新聞 より- |