調査重ね半世紀-古代日本の中枢いよいよ解明

 飛鳥京跡で発掘調査が始まったのは昭和34年。吉野川分水の工事がきっかけとなり、県立橿原考古学研究所が半世紀にわたって成果を積み上げてきた。中心部の調査は20年以上ストップしていたが、再開初年度で、本丸、、にたどりついた。平成18年度まで続けられる予定で、さらなる構造解明が期待されている。
 前殿の発見は昭和54年。巨大な石敷き井戸やエビノコ郭も見つかっていたが、肝心の中心部は未解明のままだった。
 橿考研の松田真一・調査研究部長は「律令体制の確立と宮殿の整備は足並みをそろえて行われたはず。構造解明への足がかりが得られた意義は大きい」と話す。
 石敷きの残り方が予想以上に良かったほか、想像さえしなかった庭園も見つかった。池には泥の堆積(たいせき)がなく、神聖な空間として厳しく管理されていたという。
 古代宮都をテーマに研究論文を発表している調査担当の林部均主任研究員は「7世紀後半は、大王の人格から政治システムで運営する時代への過渡期。当時の政治形態を自分の手で検証することになるとは思わなかった」と感慨深げ。
 中心部の構造を解明するため、県は4年間の継続調査を予定しており、平成16年度の当初予算にも約1000万円を計上した。調査区を広げて大型建物跡や池の規模を確認する。
 下層に眠るとされる皇極天皇の飛鳥板蓋宮や舒明天皇の飛鳥岡本宮との関係解明も大きな課題だ。
 10年以上にわたって飛鳥京跡の調査を担当した網干善教・関西大名誉教授(考古学)は「今回の調査で内郭の中心線が確定した。飛鳥京全体の構造を把握する上で画期的な成果。判明した地割をもとにこれまでの調査成果が集約できるようになるだろう」と話している。


                    2004年3月9日 -奈良新聞 より-

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