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内郭正殿に4つの不思議-飛鳥浄御原宮 明日香村岡の飛鳥京跡で見つかった飛鳥浄御原宮(672〜694年)の内郭正殿とみられる大型建物跡や石敷き広場。天武天皇が日常生活を送ったこの空間には、研究者が首をかしげる4つの不思議がある。三重の塀に門らしき入り口がなく、池の横には謎の方形区画。一体何を意味しているのだろう。 ▽不思議(1) 見つかった内郭正殿は南から順に、三重の塀、石敷き広場、大型建物跡で構成される。小石を敷いた池跡もあった。 塀が幾重にも巡る構造は伊勢神宮にも共通するが、雨落ち溝や柱穴など、門の存在につながる遺構はなかった。南側の前殿とは一対の施設で、調査した県立橿原考古学研究所は、行き来できる門を想定していた。 担当の林部均主任研究員は「役人の出入りなら簡単な扉でよいが、天皇の出御(しゅつぎょ)には門が必要だろう。解明は今後の課題」と話す。 ▽不思議(2) 石敷きを慎重に眺めると、黄色っぽい石が一つだけ混じっているのに気づく。一辺約20センチ。斉明天皇が運河を掘って運んだといわれる砂岩で、東に約700メートル離れた酒船石遺跡から転用されたらしい。ほかの石は花こう岩だった。 この砂岩から東側約3メートル四方の石が小さく、何度か改修されたらしい。橿考研は「儀式の際に何かを設置するなど、必要があって石を外したのではないか。砂岩が目印だった可能性もある」とみている。 ▽不思議(3) 正殿級の大型建物跡は約4分の1が確認された。内郭の中軸線を基準に全体で東西八間(24メートル)と推定されている。 ただ、古代の大型建物は柱間を奇数にとるのが普通。正面に観音開きの扉を設けるためで、偶数間では中軸線を柱がさえぎることになる。前殿は七間、隣接の宮殿区画「エビノコ郭」の正殿は九間だった。 法隆寺南大門も真正面に柱が立ち、「怨霊の寺」説の根拠の一つとなっている。進入を拒んでいると受け取れるためだ。 菅谷文則・滋賀県立大教授(考古学)は「八間は確かに不思議だが、当時は中央に柱を置くのが流行していたのかもしれない」という。 ▽不思議(4) 最後の不思議は池の東端で見つかった方形区画。一辺約3メートルで、東と西に石組み溝が取り付く構造。内部の土は取り除いておらず、発表時も「性格不明の窪み」と表現された。 池には落ち葉や泥の堆積(たいせき)がなく、神聖な池として厳重に管理されていたらしい。よく見ると、窪みから池に向かって水を流し込んだような跡がある。 林部主任研究員は「きれいな水を供給するための給水施設だろう。来年度の調査で性格を突き止めたい」と話している。 2004年3月15日 -奈良新聞 より- |