称徳天皇の大嘗宮か-平城宮跡

 奈良市の平城宮跡の第一次大極殿南側から、称徳天皇(718〜770年)が即位後に大嘗(じょう)祭を行った大嘗宮とみられる掘立柱建物跡が見つかり、奈良文化財研究所が25日、発表した。
 平城宮跡で大嘗宮跡が見つかるのは六例目。これまで東側の第二次大極殿南側から5時期の大嘗宮跡が出土しているが、第一次大極殿南側からは初めて。柱穴から奈良時代後半の瓦が見つかり、称徳天皇の大嘗宮跡と特定された。これで過去の調査の5時期の大嘗宮も天正、聖武、淳仁、光仁、桓武の五人の天皇のものとほぼ確定した。
 掘立柱建物跡は四棟出土し、天皇が湯を浴びて身を清める「廻立(かいりゅう)殿」、大嘗祭に用いる稲を脱穀する「臼屋」、米を炊く東西の「膳(かしわ)屋」とみられる。廻立殿は東西13.5メートル、南北10.8メートルで、さらに北へ広がる。臼屋は南北2.9メートル、東西4.8メートル、膳屋は東西11.84メートル、南北は不明。
 大嘗宮にはこのほか、天皇が儀式を行う悠紀院、主基(すき)院の正殿があり、奈良文化財研究所ではさらに南側の調査を進める。
 また、調査地の中央からは、平城宮が成立する以前につくられた奈良盆地を南北に貫く直線道路、下ツ道が見つかり、県南部から北へ伸びる下ツ道がこの地点までは直線道路として造営されていたことがわかった。
 奈良文化財研究所の金田明大研究官は「称徳天皇の大嘗宮が確定されたことで、平城宮の六代の天皇の大嘗宮が確定された。規模が大きく、一人だけがほかの天皇と異なる場所で大嘗祭を行ったことなど、称徳天皇の特殊性が感じられる」と話している。
 現地説明会は27日午後1時30分から。


                    2004年3月26日 -奈良新聞 より-

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