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講堂期壇跡など確認-法華寺 奈良市の法華寺境内から、創建当時の講堂基壇跡や僧坊跡とみられる柱列が奈良文化財研究所の発掘調査で28日までに見つかった。講堂の基壇跡が確認されるのは初めて。平安末期の南都焼討ちや度重なる火災で奈良時代の伽藍(がらん)が失われた同寺で、創建当初の伽藍配置がほぼ確定した。 防災工事に伴い、境内の3カ所を調査。現在の本堂の南側から8世紀半ばの三棟の建物跡が見つかったほか、さらに南側から講堂基壇の地覆石と見られる凝灰岩が出土した。三棟の建物は東西に並んでおり、一棟の推定規模は南北12メートル、東西21メートル。柱穴には、礎石を支えた根石が残っており、創建当初の僧坊跡か食堂跡と見られる。 基壇跡はさらに南側約18メートル、現在の南門付近から見つかり、基壇の最下部にある凝灰岩の地覆石(一辺が50センチと100センチ)が残っていた。地覆石の下層には、直径約1メートルの柱穴も見つかっており、同寺創建以前にあった藤原不比等の邸宅跡の可能性もあるという。 同境内では、過去の発掘調査で金堂跡の一部や鐘楼跡が確認されており、今回の調査で創建当時の主要伽藍の配置が確定した。 法華寺は藤原不比等の旧邸宅跡に天平19(747)年ごろ、光明皇后の発願で創建。東西両塔と金堂、講堂、食堂、鐘楼、南大門などを有する壮大な伽藍だったが、治承四(1180)年の平氏による南都焼討ちで荒廃。再建されたが度重なる火災で伽藍が失われ、現在の本堂、南門は豊臣秀頼と母淀君の発願で再建された桃山時代の建物。 創建当初の伽藍配置を示す資料はなく、奈良文化財研究所考古第三調査室の林正憲研究員は「これまで不明だった創建当初の伽藍配置がほぼ確定した上、創建以前の資料も得られた」と話している。 2004年4月29日 -奈良新聞 より- |