長屋王邸の瓦焼いた窯跡か-河合の薬井滝ノ北遺跡

 河合町薬井の薬井滝ノ北遺跡で、平城京の長屋王邸跡で出土した瓦と同じ型式の瓦と瓦窯の灰原が見つかり、河合町教育委員会が17日、発表した。長屋王邸の瓦を焼いた窯があったと見られる。同遺跡を含む、河合町、王寺町一帯に広がる片岡の地には、奈良時代に長屋王に野菜を納めた御園があったとされ、野菜だけでなく瓦などさまざまな物資を供給していたことがうかがえるという。
 西大和ニュータウン西側の畑約55.5平方メートルを調査。数10年前に奈良時代の古瓦を地元の人が採取しており、瓦窯を推定して同町教委が発掘調査した。
 調査地からは、東西約4メートル、南北約1.5メートルで炭が混じった土が広がっていたほか、周辺に灰の層がたい積。灰の中から、長屋王邸跡で出土したものと同じ型式の7世紀末-8世紀初めの偏行唐草文軒平瓦、複弁八弁蓮華文軒丸瓦の瓦片が2種類ずつ、20点以上出土した。
 この種類の瓦がそろって出土するのは、平城京の長屋王邸跡や長屋王家ゆかりの寺跡だけ。調査した町教委の吉村公男係長は「長屋王ゆかりの寺の瓦を焼いていたこの地が、平城京遷都後にも長屋王の邸宅をつくる際にも供給したのではないか」という。
 片岡の地では、長屋王の系列の皇族たちの所領とされており、ゆかりの地が点在している。長屋王の父の高市(たけち)皇子の墓は広陵町の見立山、河合町の広瀬神社は長屋王の祖父の天武天皇が祭ったとされている。
 昭和63年に奈良そごう(当時)建設に伴い平城京跡で出土した木簡には、片岡の地からハスの葉やアザミ、ジュンサイなどの野菜が献上されていたことがことが記されている。
 長屋王邸跡で出土したものと同型式の瓦が出土したことで、町教委の吉村係長は「野菜や瓦などさまざまな物資が供給されていたことを示す資料」という。
 今回の調査地は大和川の上流の葛下川の川岸に位置し、瓦を川をさかのぼって平城京に運んだと推定できるという。
 町教委は20日から30日まで、出土した瓦を同町池部の町中央公民館文化財展示室で公開する。


                    2004年5月18日 -奈良新聞 より-

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