勾玉や腕輪など1万点超-桜井の赤尾崩谷古墳群

 桜井市赤尾、赤尾崩谷古墳群の古墳時代中期(5世紀末)の3つの墳墓から1万1000点を超える多様な種類の玉類が出土し、9日、調査主体の市文化財協会が発表した。この時代の小規模な古墳から、これほど大量の玉類が出土したのは県内では初めて。被葬者は大王家に重用された朝鮮半島南部地域の渡来人とみられ、初期渡来系集団研究の貴重な資料になるものと注目されている。
 3つのうち最も北側の古墳は、一辺約16メートルの方墳。木棺直葬の埋葬施設からは、3600点ほどの玉、装身具類が装着状態で検出された。見つかったのは、翡翠(ひすい)やガラスの勾玉(まがたま)をトップにあしらい瑪瑙(めのう)、水晶などの玉類で装飾したネックレスをはじめ、琥珀(こはく)や銀製空玉のネックレス、銅製輪、金銅製空玉、碧玉製管玉(へきぎょくせいくだたま)を使った腕輪、ガラス玉のブレスレットなど。材質は多種多様で、色彩も群青や緑、朱など多岐にわたっている。
 また、この古墳の南側に位置するほぼ同時期の直径約12メートルの円墳と、一辺約11メートルの方墳では、それぞれ4600、2800を超えるガラスや翡翠、石製の玉が、祭祀(さいし)の際にまかれたとみられる状態で検出された。
 これらの古墳は出土土器から5世紀末のものと推定される。玉類とともに出土した垂飾付耳飾や鳥足文タタキ目を持つ甕(かめ)などから、朝鮮半島南部から渡来した人物が被葬されていたと考えられている。
 加えて、3つの墳墓は、日本書紀などで五世紀末の雄略天皇の時代に設けられたとされる泊瀬朝倉宮(はつせあさくらのみや)の有力候補地を見渡せる場所に立地。豪華な副葬品と合わせ、被葬者は大王家の下で要職にあった有力者だと推測される。
 さらには、近くの同時期の渡来系墳墓から見つかった副葬品が今回のものと異なることから、同地域に少なくとも2つの渡来系集団が存在した可能性が高いとの指摘もされている。
 同古墳群の出土遺物は、同市芝の市立埋蔵文化財センターの平成15年度発掘調査速報展で公開中。


                    2004年6月10日 -奈良新聞 より-

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