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瓦積み基壇跡を発掘、伽藍の主要部か 山科・大宅廃寺跡 白鳳時代(7世紀)に創建され、平安時代まで続いたとされる大宅廃寺跡(京都市山科区大宅)で23日までに、瓦積みの基壇跡が見つかった。奈良・興福寺の前身の山階(やましな)寺の候補にも挙がる同廃寺跡の主要部とみられ、解明されていない同寺の伽藍(がらん)配置を特定するうえで貴重な資料と期待されている。 市埋蔵文化財研究所が個人住宅の建築に伴い、6月上旬から約36平方メートルを調査していた。 基壇は南北約4メートルにわたって確認され、その縁には石の上に瓦が高さ約30センチ、6−7層に積まれていた。基壇の外側も、縁を3層の瓦で飾った幅約1メートル、高さ約15センチの基壇風の加工が施されていた。 基壇上には、直径約2メートルの柱穴跡が3カ所で見つかった。さらに、塔の先端の飾り「水煙(すいえん)」の一部とみられる破片も近くから出土した。瓦積み基壇は、市内でも、飛鳥・白鳳時代の寺院の北野廃寺(北区)や北白川廃寺(左京区)などで見つかっており、当時の寺院では一般的な様式だった。 過去の発掘調査で、調査地の北側から南北に並んだ建物跡3棟が見つかったほか、南側からは中心伽藍を取り囲んだ築地塀に関連したと考えられている雨落ち溝跡の一部が見つかっている。 市埋文研は「この付近が伽藍の主要部であることがさらに確実になった」としている。 森郁夫・帝塚山大教授(歴史考古学)の話伽藍配置や建物の構造を考えるうえで重要な発見だ。これまでの調査成果と合わせると今回の発見から、大宅廃寺は、北に講堂、西に金堂、東に塔が建つ法起寺か観世音寺と同じ伽藍配置だったのではないか。柱穴の位置関係から、建物は裳階(もこし)付きであった可能性もある。 【山階寺】 藤原氏の氏寺である興福寺の前身の寺院。大化の改新で知られる中臣鎌足の持仏堂として創建されたと考えられている。詳しい創建時期や経緯はわかっておらず、場所についても山科盆地内で諸説に分かれている。 2004年6月24日 -京都新聞 より- |