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独自の臨床法も-藤原宮跡の大量木簡 藤原宮跡で見つかった5000点を超える大量の木簡。薬酒の処方を書いた木簡は、中国から唐の最新医療がもたらされていたことを物語る。薬草の配合量や使用法には唐の医書にない記述もあり、国内で独自の臨床法を編み出していたらしい。 処方せんの木簡は1点で、秦膠酒(しんきょうしゅ)と呼ばれる薬酒。効能書きの記載では、四肢やひじの痛みに効くという。 裏面には配合する薬草が記され、「天門冬」はカラスウリの根から採った天花粉。「獨活」は山ウド、「附子」は狂言にも登場する劇薬として知られる。 「両」は重さの単位だが、間に小さく書かれた文字は臨床上の注意書き。「去心」は「しんを取り去る」、「炮」は「あぶる」で、症状に合わせて配合したらしい。 中国では、初唐の7世紀中ごろに医書「千金要方」が完成。宋(960-1279年)の時代に改訂された「備急千金要方」が現在に伝わっている。 奈良文化財研究所が調べたところ、今回の処方が備急千金要方に記された「秦●酒」と一致することが判明。明日香村の飛鳥京跡苑池遺構でも、この医書に一致する「西州続命湯」の処方せん木簡が出土している。 和田萃・京都教育大教授(日本古代史)は「千金要方が天武朝ごろ日本に伝わり、症状によって配合を工夫しながら使ったのだろう。当時の最新医療で、薬学史にとっても重要な資料」と話す。 医療を担当する藤原京の役所には、天皇や皇太子だけが利用できる内薬司(ないやくし)と五位以上の貴族を対象とした典薬寮(てんやくりょう)があった。 和田教授は朝堂院回廊の改築と合わせて考察。「造宮省などの役人が典薬寮でもらった処方せんかもしれない」と指摘している。 ※●はくさがんむりに九 2004年7月8日 -奈良新聞 より- |