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「再建論争」再燃へ-寺域広がる可能性も 高温で焼かれた壁画片や瓦などが多数出土した斑鳩町の法隆寺。日本最古の壁画片の発見とともに、日本書紀に記された法隆寺(斑鳩寺)の焼失が裏づけられたことは重要な成果だといえる。若草伽藍の寺域が従来の説よりも大きくなる可能性もあり、明治時代以来約100年間続く「法隆寺再建・非再建論争」に大きな影響を与えそうだ。 現在の建物は焼失後に再建されたとする「再建説」と、飛鳥時代の建築様式などから創建当時の建物とする「非再建説」とで論争が繰り広げられてきた。 昭和14年の故・石田茂作氏らによる発掘調査で、現在の西院伽藍の南東に「若草伽藍」の遺構を確認。再建されたことがほぼ確定的になったが、昭和43、44年の文化庁による調査でも明確に焼失を示す出土遺物はなかった。 今回、出土した焼けた瓦や壁画片は、天智9(670)年に火災に遭い、一屋も残さず焼失したとする日本書紀の記述を明確に裏付ける。網干善教・関西大学名誉教授も「焼失したことが明確になり、再建説が強まったのでは」との見方を示す。 だが、今年7月に奈良文化財研究所が発表した年輪年代法による測定結果で、現在の西院伽藍の金堂に使われている木材が、焼失以前の668―669年ごろに伐採されたものであることが判明。若草伽藍の焼失以前に、現在の西院伽藍の建設が始まったとする「新再建説(二寺併立説)を裏付けるものとして話題を呼んだ。 今回の発掘調査では、従来考えられていたよりも約60メートル西側に寺域西限の溝がくる可能性もある。森郁夫・帝塚山大学考古学研究所長は「若草伽藍の規模を確定する貴重な発見。西側に寺域が広くなることで、現在の西院と重複することになる」とし、「焼け残った部材も使って、現在の金堂を建てたのでは」と二寺併立を否定する。 焼失年代も諸説あり、「法隆寺論争」は今後も議論が続きそうだ。 2004年12月2日 -奈良新聞 より- |