朝廷と密接、重要な寺院-鬼瓦発見で裏付け【王寺の片岡王寺跡】

 東側の塀に伴うとみられる石組み溝=王寺町本町2丁目(県立橿原考古学研究所提供)  飛鳥時代の王族が建立したと伝えられる王寺町本町2丁目の片岡王寺跡で、平城宮の大極殿と同じ文様の鬼瓦や奈良時代前半(8世紀前半)の塀跡などが見つかり、県立橿原考古学研究所が20日、発表した。同寺の本格的な調査は初めて。朝廷と密接なつながりを持った重要な寺院だったことが裏付けられた。
 国道168号の拡幅に伴い、約1300平方メートルを調査した。鬼瓦は割れた状態で半分ほど見つかり、幅約30センチ、高さ約40センチ。平城宮大極殿の鬼瓦と同じ文様で、復元した大きさもほぼ同じだった。
 京域外で大極殿と同じ鬼瓦が見つかることは珍しく、同研究所は「中央と太いパイプを持った人物がいた証拠」としている。金堂や講堂など、主要伽藍(がらん)に使ったらしい。
 塀は伽藍の周囲を取り囲んでいたとみられ、北側の塀跡は東西約7メートルを確認。屋根の水を受ける両側の溝に大量の瓦が落ち込んでおり、瓦ぶきと分かった。
 東側では石組みの溝跡が南北約30メートルにわたって見つかり、調査区のすぐ外側に塀が巡ると推定できる。
 片岡王寺は聖徳太子のおじにあたる敏達天皇(在位572〜585年)系の王族が建てたとされ、明治20年ごろまで建物の基壇や礎石が残っていた。
 郷土史家の記録では金堂や塔が一直線に並ぶ「四天王寺式」の伽藍配置で、中軸線から石組み溝までの東西距離は約100メートルになる。
 同研究所は、奈良時代に中心的な建物を改修した際、平城宮と同じ鬼瓦を使ったと推定している。
 出土した鬼瓦など約20点の遺物は、22日から30日まで、王寺町王寺1丁目の王寺アリーナで展示される。開場時間は午前8時半から午後9時半。


                    2005年1月21日 -奈良新聞 より-

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