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嵯峨天皇が瓦焼かせる? 大山崎永福寺の白味才遺跡で窯跡 平安時代初期(9世紀初め)に平安宮の大極殿など主要施設の瓦を生産した瓦窯(がよう)跡が、京都府大山崎町大山崎永福寺の白味才(しろみさい)遺跡で見つかり、同町教委が7日発表した。初期の平安宮の瓦の生産地としては岸部瓦窯(大阪府吹田市)、上の庄田瓦窯(京都市北区)に次いで3カ所目の確認で、平安宮への瓦の供給を考える上で貴重な資料になりそうだ。 窯跡は6基あり、すべて平窯で、南北約40メートル間に並ぶ。2号窯から5号窯までは約6メートル間隔で整然と並び、いずれも東側にたき口を構え、同時期に操業していたとみられる。2号窯は全体を確認でき、瓦を焼く焼成室が幅約1・9メートル、奥行き約1・4メートル、火をたく燃焼室は幅約1・9メートル、奥行き約2・1メートルだった。たき口の両側に石を据え付け、土の崩落を防ぐため瓦も積み重ねていた。 1号窯北側の溝跡(幅約1・5メートル、長さ約6メートル)からは廃棄された多量の瓦が出土し、平安宮の大極殿や豊楽院、嵯峨天皇が営んだ河陽(かや)離宮(大山崎町大山崎)などに使われた瓦と文様が一致した。このほか平安宮跡や西寺跡(京都市南区)で見つかっている「西」の文字が入った軒平瓦も、窯跡では初めて4点出土した。 町教委は「瓦窯の創業は、嵯峨天皇が河陽離宮を造営した811−822年ごろ。岸部、大山崎、上の庄田の順に瓦窯が移ったと考えられ、大山崎では岸部から運ばれてきた型に刻みを入れるなどオリジナルの製作もあった」と話している。 現地説明会は11日午後1時から。問い合わせは同町Tel:075(956)2101、文化係。 2005年2月7日 -京都新聞 より- |