甲賀寺創建時の回廊跡か 紫香楽宮跡 遺構が出土

 奈良時代中期、聖武天皇が大仏造立に着手した「甲賀(こうか)寺」の創建時の回廊跡とみられる遺構が、滋賀県甲賀市信楽町黄瀬の史跡紫香楽宮跡で見つかった、と滋賀県教委が10日、発表した。焼失したとする文献を裏付ける痕跡も確認された。同宮跡の調査は75年ぶりで、「紫香楽宮と一体で建てられた甲賀寺の解明につながる史料」としている。

 発掘場所は紫香楽宮跡(約7ヘクタール)の中心部。同宮跡は聖武天皇が造営した紫香楽宮の遺構として国史跡に指定されたが、1930年の調査で中門や経楼、鐘楼の礎石が見つかった。このため同宮跡は、甲賀寺跡か、大仏造立の拠点が東大寺に移った後、近江国分寺として再整備された遺構のどちらかとみられていた。

 回廊跡は2カ所で見つかった。南北方向の回廊跡は経楼跡と接続しており、東西方向の回廊跡は中門跡から西へ伸びていた。出土した直径約80センチの礎石2個や、礎石があったとみられる穴の配置などから回廊の幅は約3・6メートルと推定される。

 礎石の上には、経楼跡から流れ込んだとみられる焼土がたい積し、奈良時代中期の軒丸瓦や軒平瓦が含まれていた。礎石穴の内部も、焼土や炭で埋まっていた。回廊跡の下に遺構はなかった。

 県教委は「甲賀寺が国分寺として存続していた時期も回廊はそのまま使われた可能性が高い」と推測。遺構の焼土や、史書「日本紀略」に「国分僧寺」が785(延暦4)年に火災で焼失したとの記述があることから「火災後、寺は再建されずに廃絶された」とみている。

 13日午後1時半から現地説明会がある。
 林博通・滋賀県立大教授の話遺構の下層や宮跡の周辺に寺跡がないことや、回廊跡で恭仁宮跡(京都府加茂町)と同型の瓦が見つかっていることから、甲賀寺創建時の遺構と断定できる。


                    2005年3月10日 -京都新聞 より-

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