大工JV方式で工期短縮 三井寺の金堂建立 裏付け墨書発見

 大津市の園城寺(三井寺)の国宝「金堂」は、豊臣秀吉の正室の北政所が、大津や京都など各地の大工集団を集めてJV(共同企業体)方式を用い、短期間で建立したことが、同寺の調査で明らかになってきた。

 台風で破損した屋根の修復に伴い、屋根裏を調べており、滋賀県教育委員会も近く本格調査に乗り出す。建立に携わった大工の墨書が多く見つかる可能性が高く、関係者は「建立の経緯や工事の様子が詳しく分かるはず」と期待している。

 三井寺は586(朱鳥元)年の建立。秀吉が1595(文禄4)年に突然廃絶し、本堂だった金堂を延暦寺に移した。現在の金堂は、秀吉が死ぬ前日に出した復興の命を受け、北政所が99年(慶長4)年に建立を命じた。23メートル四方の大規模な仏堂で、当時なら建設に3年はかかるが、翌年に完成した。

 三井寺は1992年に屋根裏を調べ、大工集団の代表の名前や「北政所様御建立也」と記した墨書を見つけた。古文書と照合し、金堂の正面(南側)と東側は大津と近江、北側と西側は京都、中央部分は大津の大工がそれぞれ担当し、彫刻は奈良の大工が請け負ったことをほぼ突き止めた。

 昨年10月の台風23号で屋根が破損したため、同寺は再び屋根裏を調べ、正面の破風板から「慶長4年8月17日御大工大佛」との墨書を新たに見つけた。大佛は「方広寺の大仏」を手掛けたとされる京都の大工で、破風の建築には高い技術が必要なため、三井寺は「難しい工事は、京都の大工集団が担っていたのではないか」とみている。

 県教委は、屋根のふき替えと並行して本格調査をする予定で「2008年度をめどに結果をまとめたい」としている。

 同寺の福家俊彦執事は「今回は屋根裏を詳しく調査できるので、前回を上回る墨書が見つかるのでは」と期待し、金堂が1年で完成した理由を「中世の仏堂は部材の寸法が違うことが多いが、金堂はほぼ同寸法。部材を規格化し、各地の大工集団を統制できる能力をもった組織があったからではないか」と推測する。

 ■豊臣政権が統制
 川上貢・京都大名誉教授(日本建築史)の話 1年で金堂を建設できたのは、北政所はじめ豊臣政権が大工集団を統制していたことの表れ。(江戸幕府大工頭の)中井家が建築集団を統制した時期より前の中世の段階で、大工集団が建築に携わったことが分かる面白い例だ。


                    2005年9月9日 -京都新聞 より-

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