雨ざらしの大仏に復興誓う-町並みの形成にも貢献【公慶上人】

 12日に没後300年の法要が始まった公慶上人。今に残る「奈良の大仏さま」や大仏殿は、公慶上人が全国から寄付を集めて復興した。参拝に押し寄せた人々で奈良の町は空前のにぎわいを見せ、町並みの形成につながったといわれる。市民にとっても大恩人だが、知名度は決して高くない。一体どんな人だったのだろう。
 公慶上人は13歳で東大寺の大喜院に入り、雨ざらしの大仏を見て復興を誓ったという。
 奈良時代に創建された東大寺は二度の兵火に見舞われている。最初は源氏と平家の勢力争い巻き込まれた治承4(1180)年。復興された伽藍(がらん)は松永久秀の焼き討ちで永禄10(1567)年に再び焼失した。
 公慶上人の入寺はそれから約100年後の万治3(1660)年。大仏は仮堂もなく風雨にさらされ、木しんに銅板を張った頭部が痛々しかった。
 37歳になった公慶上人は幕府の許可を得て大仏復興に着手。青森県から鹿児島県まで、各地を回って資金を集めた。7年後の元禄5(1692)年、1カ月にわたる開眼法要が営まれた。
 参拝者は僧侶と一般庶民合わせて約22万人。大阪と奈良を結ぶ街道は人でつながり、木津川の渡し舟は数日で1年分を稼いだという。
 公慶上人は次いで大仏殿の再建に乗り出し、幕府も諸藩に資金の拠出を求めて協力。上棟には漕ぎつけたが、完成前に江戸で客死した。


                    2005年10月13日 -奈良新聞 より-

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