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創建前の奈良期制作か 山科の安祥寺本尊・木造十一面観音立像 京都市山科区御陵の山岳寺院・安祥寺の本尊、木造十一面観音立像の制作年代が、寺創建の平安初期より古い奈良後期の可能性があることが、京都大を中心とするグループの調査で17日までに判明した。高さ約2・5メートルの半丈六仏で、当初はかなり大きな寺に安置され、創建後のある時期に同寺に移されたとみられる。 同寺には醍醐寺と同様上寺と下寺があり、江戸期に再興された下寺が現在も存続。京大大学院21世紀COEプログラム「グローバル化時代の多元的人文学の拠点形成」第14研究会(代表・上原真人京大教授)が、2002年から、廃寺となった上寺も含め総合的な調査を行っている。 仏像調査は根立研介京大教授(日本彫刻史)と学生らが、昨年6−11月に実施。観音堂など3棟に安置されている13体の仏像について、外観や材質、エックス線による内部の調査を行った。 十一面観音立像はカヤ材による一木造りで漆の上に金箔(きんぱく)を張った漆箔仕上げ。腰が高く肩幅の広い造形や指の形の柔らかさ、衣の文様や材質などから、奈良後期−平安初期につくられたと判断した。また頭部だけは江戸期の修復で付け替えられていたことも分かった。 寺創建時の様子を詳細に記した「安祥寺伽藍(がらん)縁起資財帳」には、等身の十一面観音像の記載はあるが、大型の半丈六仏についての記録はなく、創建後に運び込まれた可能性が高い。仏像の大きさからみて、当初安置されていた寺はかなり大規模な寺だったとみられ、山科地域にあったとされる興福寺の前身「山階(やましな)寺」との関連を指摘する声もある。 根立教授は「奈良時代の木像としては飛び抜けて大きい。頭部が替わってさえいなければ重文級で、大変残念だ。仏像は 関連する近くの寺か、奈良から運ばれたのではないか」と話している。 2005年11月18日 -京都新聞 より- |