金堂の一部とみられる柱跡 井手寺跡 伽藍配置は「法隆寺式」

 井手町教委は13日、奈良時代の左大臣、橘諸兄が創建にかかわったという井手寺跡(京都府井手町井手)で、金堂の一部とみられる柱跡が見つかったと発表した。北側で見つかっている建物跡と合わせ、不明だった同寺の伽藍(がらん)配置が「法隆寺式」である可能性が高まった。

 見つかったのは、柱の礎石下に敷く「根石」跡10カ所(直径約1メートル)。うち7カ所には大小数10個の石が残り、3カ所には石を除いたとみられる穴が確認された。石は約3メートル間隔に配置され、金堂は東西に柱6本、南北に柱5本が並ぶ規模(縦約12メートル、横約15メートル)と推測される。

 金堂の位置がほぼ確定したことにより、2003年度調査で見つかった約20メートル北側の建物跡は講堂と推定。昨年度出土した石敷きは、講堂と金堂をつなぐ参道である可能性が高まった。また、建物跡と同時に出土した柱跡は鐘楼か経蔵、近くの府道沿いで見つかっている東西方向7つの柱跡は僧房とみられる。井手寺の伽藍配置は、講堂を中心に東側に金堂、西側に塔を備えたいわゆる「法隆寺式」だったとほぼ断定した。

 このほか、昨年度出土した石敷きの東に、金堂へ続くと思われる石敷き(縦約3メートル、横約5メートル)が新たに見つかり、7世紀前半のものを含む瓦25点も出土した。

 井手町内遺跡発掘調査委員長の水野正好奈良大名誉教授は「井手寺はこれまで、伽藍配置や規模がまったく分からなかったが、金堂とみられる建物跡が確認されたことで寺の全体像が見えてくる」と評価し、「当時の最高権力者であった諸兄が、仏教文化に果たした役割を考える上で重要な手がかり」と話している。
 現地説明会は、18日午後1時半から行われる。問い合わせは町社会教育課Tel:0774(82)5700。


                    2005年12月13日 -京都新聞 より-

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