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敏満寺の末寺跡か 多賀 石垣と礎石が出土 滋賀県多賀町教委は15日、戦国時代に織田信長らによって焼き打ちされ、廃寺になったとされる敏満寺の遺跡(同町敏満寺)から、石垣と建物の礎石が出土した、と発表した。県文化財保護協会は「敏満寺の末寺の跡ではないか」としている。 調査は10月から、敏満寺石仏谷墓跡(国の史跡)の北側約120平方メートルで行っている。 町教委によると、石垣は高さ約2メートル、長さは南北約10メートルあり、斜面に築かれた形で出土した。石垣の内側は盛土して平らな面が造られており、直径約1メートルの礎石5個も見つかった。山の斜面を整地して建物が建てられたと推測され、同時に出土した皿やつぼの破片から、15世紀ごろには建物があったとみられる。 また、焼け跡を示す炭の地層が3層見つかり、最も古い層の年代は特定できないものの、13世紀−16世紀後半に少なくとも2度、焼かれたことがうかがえる。 県文化財保護協会の松澤修技師主任は「古文書などと照らし合わせると、敏満寺の末寺だった西福院に関係があり、僧が生活していた堂舎の跡と考えられる。また、敏満寺が近隣の百済寺(東近江市)や金剛輪寺(秦荘町)と同様、軍事的性格を持つ大規模寺院として存在したことを物語っている」と話している。 現地説明会は17日午前10時から。雨天中止。問い合わせは多賀町立文化財センターTEL0749(48)0348。 ■敏満寺 多賀大社の南に位置する青龍山の西側一帯にあったとされ、聖徳太子が建立したとも伝わる。9世紀ごろには学僧の修行場として繁栄し、朝廷や将軍家の帰依を受け勢力を拡大したが、16世紀後半に浅井長政や織田信長との抗争で滅亡したとされる。 2005年12月16日 -京都新聞 より- |