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聖武天皇、仏教帰依のきっかけは大地震か 岡山大調査 国分寺や東大寺大仏の建立を命じたことで知られる聖武天皇(701〜756)が平城京と難波宮間を行幸した直後にその一帯で阪神・淡路大震災級の大地震が起きたとみられることが歴史学者と地震学者の共同研究で明らかになった。聖武天皇の仏教への深い帰依のきっかけになったのではないかという。4日に奈良市の奈良文化財研究所である研究会で発表される。 岡山大の今津勝紀・助教授(日本古代史)と隈元崇・助教授(地震学)が研究した。 それによると、この地震は734(天平6)年4月に起きた。大阪を南北に走る生駒断層帯が動いた直下型とみられ、マグニチュードは7.0〜7.5で、7.3の阪神・淡路大震災並み。「続日本紀」には「山が崩れ、川がふさがり、地が裂けて、多くの圧死者が出た」と記述されている。 聖武天皇は地震直前の3月に難波宮(現在の大阪市)を訪れ、竹原井頓宮(かりみや)(大阪府柏原市)をへて平城京(奈良市など)に戻っている。 隈元さんらは、政府の地震調査研究推進本部による生駒断層帯の評価などから、デジタル地図に情報を重ねる地理情報システム(GIS)で震度分布図を作製した。 その結果、聖武天皇の行路周辺は断層帯に近く、震度6弱以上の強い揺れに見舞われ、大きな被害が出たと推定した。 天皇は地震後の7月、「最近天変地異が多く、地震もあった。責任は自分一人にある」として大赦を実施。同じ年には「人々の命を全うさせるために」と写経を、翌年には読経も命じた。7年後の741年に国分寺建立、743年に大仏建立の詔を出している。 今津さんは「聖武天皇は訪れたばかりの地が震災に見舞われたことに大きなショックを受け、仏教への帰依を強めたのではないか」と話す。 京都女子大の瀧浪貞子教授(日本古代史)は「皇太子の夭折(ようせつ)や光明皇后の影響など、聖武天皇が仏教に帰依する下地はすでにあったが、この地震によっていっそう強まり、国分寺や大仏の建立につながったことは十分考えられる。古代史に科学的な手法で切り込んだ面白い研究だ」と話している。 2006年3月3日 -朝日新聞 より- |