現在より大きかったこと裏付け 加茂 海住山寺の発掘調査で

 京都府加茂町教委は24日、同町例幣の海住山寺(かいじゅうせんじ)の発掘調査で、本堂の南に約150メートルの地点でかつての塔頭寺院の一部とみられる建物跡などが見つかった、と発表した。同寺の発掘調査は初めてで、町教委は「同寺が現在の規模より大きかったことを遺構で初めて裏付けられた」としている。

 寺伝によると、同寺は735年、同町内の恭仁京(740−744年)に都を移した聖武天皇の勅願で創建され、1137年に全焼。高僧貞慶が1208年に「海住山寺」と名付け、再興したとされる。多数の塔頭を抱えていたとされるが、現在は本堂や国宝の五重塔、重要文化財の文殊堂などを除いて大半が残っていない。

 発掘調査では、見つかった柱穴跡から5・4メートル×3・6メートル規模の建物があったと推測、東側では門跡とみられる多数の瓦が出土した。江戸時代の絵図や地誌「瓶原古今志」などから、建物は塔頭だった「宝蔵院」の護摩堂跡と推定されるという。また、建物跡の南側でも鎌倉末期から室町初期とみられる基壇跡が見つかった。

 町教委は「今後は、恭仁京とのかかわりも意識して調査を続けたい」としている。
 調査は寺の敷地内に消防用の貯水槽を埋設する準備に伴って実施。現地説明会は行わない。


                    2006年3月24日 -京都新聞 より-

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