親鸞さんの勉強部屋? 東山・大谷本廟 謎の石窟

 謎の石窟(せっくつ)は親鸞の学問部屋だった? 浄土真宗本願寺派の宗祖親鸞の墓所・大谷本廟(びょう)(京都市東山区)内にある石窟が、江戸時代には親鸞の「学室」として信仰の対象となっていたことが24日までに分かった。石窟の前で人々が合掌している挿絵や石窟の用途を記した史料が確認されたためで、同派は「真偽は不明」としながらも、付近に説明パネルを設置した。

 石窟は境内のほぼ中央にあり、長さ約7メートル、最大幅2メートル、高さ約2メートル。地中に掘り込まれ、天井部は直径1−2メートルの石で覆われるなど古墳時代の横穴式石室に似る。

 17世紀初め、大谷本廟が吉水(現在の知恩院付近)から移転、再興後しばらくして築造されたと推定され、一昨年行われた調査では、寺宝などの収蔵庫と見られていた。

 しかし、1665(寛文5)年の京名所図絵「扶桑京華志」で、「石窟は親鸞の学室なり」との記述があることが判明。2年後に出た「京童跡追」にも同じような説明があり、門信徒が石窟に向かって手を合わせる様子が描かれた挿絵も見つかった。

 石窟は親鸞が没して300年以上後に造られており、記述自体の信ぴょう性に疑問も残るが、同派は「江戸時代に石窟が信仰の対象となっていたことは確か。謎の多い石窟がここにある意味や昔の信仰の一面を知ってほしい」と説明する。
 岡村喜史龍谷大助教授(中世日本史)は「江戸時代には、親鸞が法然から岩屋の中で念仏の教えを受けたという伝承もあり、宗祖が厳しい状況で苦労して教えを学んだという部分を、本廟を再興したばかりの教団が強調して布教に用いたのではないか」と話している。


                    2006年4月24日 -京都新聞 より-

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