防火の魔よけ 別の「懸魚」 金地院 壁紙下の下絵に「ぎょっ」

 京都府教委が修理中の南禅寺塔頭・金地院(京都市左京区)で、壁紙の下から屋根の破風を飾る懸魚(げぎょ)の下絵が7日までに見つかった。金地院は江戸初期に伏見城の建物を移築したと伝えられるが、文化財保護課では「下絵の図柄が現在と異なり、前身の建物を飾った懸魚ではないか。伝承通り伏見城の建物だった可能性もある」と話している。

 懸魚は魚を象徴化した装飾で、防火の魔よけとされる。下絵は東間の北と東の壁板から見つかり、墨の細い線で原寸大の「三ツ花懸魚」が丁寧に描かれていた。定規を使ったとみられる部分や、作図の際の補助的な線もあった。

 現在の懸魚(幅3・4メートル、高さ1・7メートル)も「三ツ花」だが、中央に徳川氏の「三葉葵(みつばあおい)」の紋が刻まれているのに対し、下絵には「沢瀉(おもだか)」の紋が描かれていた。沢瀉は「勝ち草」として武将が好んで用いた。

 壁板の材質は上質なヒノキ材で、不要なくぎ穴が開いており、以前の建物からの転用材とみられる。同課は「紙が貴重な時代、見えないところに使う材木に下絵を描いたのでは」と推測する。

 金地院は、徳川家康の側近で「黒衣の宰相」と呼ばれた以心崇伝が1672(寛永4)年から南禅寺山内に再建し、この時に伏見城の建物を譲り受けたと伝えられる。現在の懸魚は再建時のものとみられ、下絵の懸魚がもし作られていたとすれば、以前の建物を飾っていたことになる。
 同課は「以前の建物の存在が明らかになったことで、伏見城の移築という伝承の確実性が強まった。現在の三葉葵は再建時に作り替えたものではないか」と話している。


                    2006年6月7日 -京都新聞 より-

index