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「本能寺の変」建物の痕跡発見 近くからは焼けた壁土 織田信長が明智光秀の謀反で自害に追い込まれた「本能寺の変」(1582年)の舞台になった旧本能寺跡(京都市中京区)で、建物の痕跡が見つかり、京都市埋蔵文化財研究所が26日、発表した。建物の痕跡の発見は初めてという。 マンション建設に伴い約100平方メートルを発掘した。16世紀中頃の柱の礎石を支えたとみられるこぶし大の石が数十個集まった「集石(しゅうせき)」が3カ所で見つかった。集石は約2.4メートル間隔で、何らかの比較的小さな建物があった可能性が高いという。近くから同時代の土器のほか、寺跡内の別の場所でも見つかっている本能寺の変で焼けたと推測される壁土や、寺の銘入り軒丸瓦1点も出土した。 また、約70メートル南東の別の調査地で寺の南端を示す堀の跡も見つかった。南端は文献によって食い違っていたが、これでほぼ特定できるという。 本能寺の変の様子は文献で描かれているが、寺の伽藍(がらん)配置はわかっておらず、調査員は「不明な点がまだ多いが、今後の調査につながる成果だ」と話している。 本能寺はたび重なる火災で場所を変え、1545年に今回の調査場所の付近に移った。現在の本能寺は約1.5キロ東にある。 2007年12月27日 -朝日新聞 より- |