蘇我氏滅亡と時期一致  7世紀半ば、入鹿邸の倉庫

 大化の改新(645年)で暗殺された飛鳥時代の大豪族、蘇我入鹿の邸宅があったとされる奈良県明日香村の甘樫丘東麓遺跡で、7世紀中ごろに取り壊された倉庫や塀の跡が新たに見つかり、奈良文化財研究所が27日、発表した。
 蘇我氏の滅亡と時期が一致したことから、日本書紀が「谷の宮門」と記す入鹿邸の一部だった可能性が一層高まった。
 だがいずれも小規模で、正殿など主要部は見つかっていない。同研究所は「中枢の大型建物は、調査している谷の中央にあるのではないか。入鹿邸の核心に迫っている手応えを感じる」としている。
 蘇我氏と関連する遺構は、これまで発掘したものを含め、倉庫など建物跡計4棟と塀、石垣。日本書紀によると、蘇我蝦夷と子の入鹿は644年、甘樫丘に家を並べ建て、外に城柵(きかき)、門のそばに兵庫(つわものぐら)を設け、兵が家を守ったという。


                     2008年3月27日 -共同通信 より-

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