修理中社殿から骨蔵器-奈良時代の高僧?【桜井・談山神社】

 桜井市多武峰の談山神社で、修理中の社殿から骨蔵器が見つかった。火葬された骨が入っており、土器の形式などから奈良時代に亡くなった人物とみられている。同神社は飛鳥時代後半(7世紀後半)に妙楽寺として創建されたが、伽藍(がらん)が整う平安時代以前の様子はよく分かっておらず、空白に光を当てる資料となりそうだ。

 十三重塔西側の権殿(重要文化財)を県文化財保存事務所などが修理している。今年4月、同神社が収蔵物を搬出中に二つの骨蔵器を見つけた。

 壺形の土器は高さ約9.5センチ。届出を受けた市立埋蔵文化財センターが調べたところ、8世紀末?9世紀初頭の形式だった。もう一つの土器は五世紀中ごろの祭器とみられ、上部が割れて土が詰まっていた。

 国内初の火葬が行われたのは文武4(700)年で、5世紀に火葬の習慣はなかったことから、壺形の土器が作られた奈良時代末ごろに遺骨が納められたらしい。地中から掘り出した後、権殿に仕舞ったとみられる。

 歴代僧侶の墓は多武峰山中の奥の院にあり、同センターは「わざわざ境内に埋葬し、骨蔵器も権殿で保管されていた。相当身分のある僧侶だったのではないか」と推定している。

 談山神社は藤原鎌足を祭り、「多武峯縁起」などによると、長男の定慧が父を弔うために十三重塔を建てたのが始まり。白鳳7(679)年とされ、その後、妙楽寺と呼ばれた。

 ただ、当時の遺構は遺物はなく、奈良時代には荒廃したといわれる。藤原氏の隆盛に伴って平安時代に再興され、多数の僧兵を抱えて興福寺と対立した。

 長岡千尋・宮司代務者は「奈良時代には社殿さえなく、無住だったと言われていたが、身分の高い僧が住み、法要も行っていたと推測できるようになった。創建から平安時代まで、空白の200年を埋める貴重な資料だ」と話している。


                     2008年6月13日 -奈良新聞 より-

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