|
奈良期の未知の寺院跡を発見 木津川・馬場南遺跡 京都府木津川市木津の馬場南遺跡の発掘調査で、文献に登場しない奈良時代中期−後期の未知の寺院「神雄寺」の主要な建造物と池の跡が見つかった。建物の構造や配置はこれまで全く類例がなく、天皇や大臣クラスの人物が利用したとみられる。京都府埋蔵文化財調査研究センターと同市教委が13日、発表した。 JR木津駅の南約1キロ地点で、都市再生機構(UR)の宅地開発計画に伴い、昨年4月から一帯約2200平方メートルを調査した。 仏堂跡は、天神山(94メートル)南側の斜面で見つかった。柱跡や四天王像の破片、信仰対象を置く須弥壇(しゅみだん)の周りに張り付けていた平瓦が出土した。遺物にはいずれも火災の痕跡があった。仏堂は幅5メートル、奥行き4・5メートル。ひさしを南側に伸ばした入り母屋造りで、堂内の大半を須弥壇が占める特異な構造。 須弥壇の地面は周囲より高く、中央に心柱の礎石の抜き取り跡とみられる穴がある。築山状の須弥壇に、山や水を造形した三彩陶器を並べ、周囲に四天王を配したとみられる。 仏堂南側の谷では、約100メートルにわたり川をせき止めた池跡が見つかった。池のほとりで、仏堂前に造成されたテラス状の平地に掘っ立て柱の建物跡があった。中軸線や向きが仏堂と一致し、礼拝用の建物とみられる。 池は760年ごろに一度は埋まり、直後に掘り直されて780年代まで存続した形跡がある。これまでに周囲で8000枚以上の灯明皿が出土し、大規模な法要の燃灯(ねんとう)供養が行われたとみられる。三彩陶器や、「神雄寺」と書かれた土器、天皇や大臣クラスの存在を表す「大殿」と記された墨書土器、万葉木簡も出土ている。 仏堂部分を調査した木津川市教委は「大規模な燃灯供養を行う特殊な装置としての神雄寺の存在は、学問中心の平地寺院や修業を中心とした山岳寺院と異なる。今までの古代寺院・仏教観を一変させる」といい、国の史跡指定を目指す方針。 発掘現場は17日午前10時から午後3時まで公開。午前10時半、午後1時半、2時半に説明会がある。出土遺物は同日、木津川市役所で展示される。問い合わせは市文化財保護室Tel:0774(75)1232。 ■古い密教的色彩、類例ない資料 上原真人・京都大文学研究科教授(考古学)の話 須弥山とみられる三彩陶器は、仏堂からは出てきておらず、火災にも遭っていない。仏堂は、前面中央に柱が立つなど不思議な建物。三彩陶器を置くにはふさわしい建物だが、そう考えるにはクリアしなければならない問題が多い。平安時代以前に断片的に入っていた古密教的な色彩もみられ、8世紀の仏教を考える上で類例のない資料だ。 2009年1月14日 -京都新聞 より- |