平城宮跡に大量の木簡天皇警護の軍跡か

 平城宮跡(奈良市)の奈良時代の「霞が関」に当たる場所で、大量の木簡が見つかり、奈良文化財研究所が18日までに明らかにした。約3万5000点に上る長屋王邸宅跡の木簡群に匹敵する規模という。

 一部には「近衛(このえ)」や「兵衛(ひょうえ)」と書かれており、平城宮や天皇を警護する軍組織「衛府(えふ)」があった可能性が高い。同研究所は「他の役所関連の木簡が含まれていることも考えられ、平城宮内の役所配置を研究する上で貴重な史料」と話している。

 木簡が出土したのは、奈良時代後半に政務の中心だった第二次朝堂院の東隣で、当時の官庁街跡の一画。兵士の名前とみられる文字が多く書かれ、荷札として使用し、ひもが付いたままの木簡もあった。貴族が使う木製の檜扇(ひおうぎ)数点もほぼ完全な形で残っていた。

 東西約10メートル、南北約7メートル、深さ最大1メートルの楕円形の穴を掘り、短期間にまとめて捨てたとみられる。

 穴を掘った前後に何度か建物を建て替えた形跡があった。「宝亀2(771)年」と記された木簡や、建築部材の削りくずも含まれていることから、奈良時代末ごろに、特定の建物を壊した際に大量に出たごみを処理したと考えられるという。


                    2009年1月18日 -共同通信 より-

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