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平等院鳳凰堂 壁画に頼通の絵か 平安期、説話が影響 京都府宇治市の平等院鳳凰(ほうおう)堂内にある国宝「仏後壁画」に、同院を創建した関白藤原頼通(よりみち)(992−1074年)とみられる人物が描かれていたことが、東京文化財研究所などの初の全面調査で23日までに分かった。83歳まで生きた頼通が、晩年に自身の極楽浄土への往生と一族の繁栄を願い、創建(1052年)間もないころに描かせたとみられる。 壁画は本尊・阿弥陀(あみだ)如来坐像(国宝)の後ろにあり、縦3・4メートル、横3・7メートル。11枚のヒノキ板に描かれ、平安時代中期の作としては最大の障壁画とされる。本尊と近接し、これまで全面調査ができなかったが、2004年1月から07年9月までの「平成の大修理」で本尊を移動させた際に実施。壁画に近赤外線や蛍光エックス線をあて、壁画の画風や顔料を調べた。 壁画には、頼通が自らを重ね合わせたとみられる人物が、花を持ち極楽浄土への成仏を祈願するため、釈迦(しゃか)のところへ歩く姿が描かれている。絵は、インドの王子が釈迦から阿弥陀仏のように浄土に行けるとの予言を受けた紀元前後の「阿闍世太子授記(あじゃせたいしじゅき)説話」をもとにしていることも明らかになった。 仏教絵画史に詳しい有賀祥隆・東京芸術大客員教授は「一族の衰退に不安を覚えた頼通がこの説話を画題に選んだのだろう。壁画全面を細部まで鮮明に撮影した今回の調査は、当時の絵の作風を知る貴重な資料となり、大変意義深い」と話している。 2009年1月23日 -京都新聞 より- |