大阪・百済寺に造営工房跡釣り鐘鋳造か

 8世紀半ばの奈良時代に創建された大阪府枚方市の百済寺跡で、寺の造営や修理を担った工房「修理院」とみられる跡が見つかり、市教育委員会が12日発表した。

 同寺は660年の百済滅亡の際、日本に亡命した王族の末裔、百済王敬福が建立したとされる。発掘調査で修理院の存在が確認されたのは、これまでに奈良県明日香村の川原寺跡など数例しかなく、市教委は「古代寺院の構造を知る上で重要な成果」としている。

 市教委によると、寺の北東部分で、釣り鐘などの鋳造のため、金属を溶かした炉の破片や、青銅や鉄のくずが出土した。修理院は、9世紀前半ごろになくなったらしい。

 奈良時代以前の寺院は僧侶が過ごし、金堂や講堂、食堂が置かれた「伽藍地」と、寺の運営を支える職人が住み込みで働き、修理院などがある「付属院地」で構成。百済寺跡では、両方の区画を分ける土塁の一部(幅約2メートル、高さ20センチ)も見つかった。


                    2009年3月12日 -共同通信 より-

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