奈良で蘇我氏邸宅の石垣見つかる全長34メートル「城柵」か

 大化の改新のきっかけとなった「乙巳の変」(645年)で滅びた蘇我蝦夷・入鹿親子の邸宅があったとされる奈良県明日香村の甘樫丘東麓遺跡で、7世紀前半の大規模な石垣が新たに見つかり、奈良文化財研究所が17日、発表した。

 過去に出土した分と合わせると全長約34メートル。日本書紀には、甘樫丘の蘇我邸について「家の外に城柵を作り」との記述があり、同研究所は「石垣は邸宅の防御施設の一部だった可能性がある」としている。

 今回見つかった石垣は高さ最大1メートル、長さ約19メートルで、以前確認された石垣の延長部分。

 くぼ地(幅約8メートル、深さ1・2メートル以上)の東斜面に一辺20〜40センチの石を張り付けるように積み上げていた。石垣は急こう配で、「よじ登るのは大変だった」(同研究所)とみられる。

 日本書紀によると、親子は644年、甘樫丘に家を並べて建てた。家の外は城柵で囲まれ、門のそばに武器庫を造り、兵が警護したとされる。

 石垣は蘇我氏が滅亡した後、650〜660年代に埋め立てられていた。同遺跡でこれまでに出土した武器庫とみられる建物や塀の跡なども、ほぼ同じ時期に壊されたことが分かっている。



                    2009年6月17日 -共同通信 より-

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