あれ?中門がない!? - 新薬師寺旧境内

 奈良市高畑町の新薬師寺旧境内(奈良教育大学構内)で、奈良時代中ごろの瓦が入った溝跡などが見つかり、同大学が22日、発表した。想定されていた中門や回廊の遺構はなく、伽藍(がらん)がさらに広いか、金堂だけだった可能性が浮上した。

 調査地は昨年見つかった金堂とみられる巨大基壇の南側約50メートル。地形などから中門が想定されていた。

 溝は幅約2メートルで、南北に約20メートルを確認、底に瓦の破片がたまっていた。焼けた瓦もあり、直行する幅約5メートルの自然流路に分断される。主要伽藍が廃絶する10世紀に埋まった可能性が高いという。軒瓦は興福寺と同じ文様で、創建時に使ったとみられる。

 奈良時代に鋳造された神功開宝(765年発行)と隆平永宝(796年発行)も各1点出土、漆の付着した土器片もあった。

 中門や左右に接続する回廊が見つからないことについて、金原正明准教授は(1)さらに南に存在した(2)金堂南側のスペースがせまく、調査地の北側で閉じていた(3)金堂だけ完成していた?の3つを挙げる。

 調査地が金堂の中軸線上にあたることから、溝は参道側溝の可能性もあるという。東大寺山堺四至図(756年)には「新薬師寺堂」として仏殿1棟だけが描かれている。

 新薬師寺は、光明皇后が聖武天皇の病気回復を願って天平19(747)年に建立。金堂には7体の薬師如来像が安置された。平安時代には荒廃し、応和2(962)年の大風で主要伽藍が倒壊した。

 金原准教授は「金堂跡の瓦は焼けておらず、別の建物が近くにあったと考えられる。伽藍の特異性を検討する必要が出てきた」と話している。



                    2009年6月23日 -奈良新聞 より-

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